TIMELINE
世界の歴史 | 年 | 日本の歴史 |
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ギリシャのペダニウス・ディオスコリデス(Pedanius Dioscorides)が、マンダラゲとワインの麻酔効果、“メンフィスの石”の局所麻酔効果を『Materia Medica(薬物誌)』に記す | 77BC | |
ギリシャのヒポクラテス(Hippocrates)が、アヘンの鎮痛作用を記述する | 500BC | |
アレキサンドリアのヘロン(Helon)が、注射筒を記述する | 150BC | |
ディオスコリデス(Dioscorides)が、マンドラゴラによる鎮痛と意識喪失を記載する | 100 | |
華佗が、麻沸散を用いる(麻沸散の本態は不明) | 250 | |
733 | 山上憶良が、「万葉集」の中で古代中国の華佗について言及する | |
サレルノのニコラス(Nicholas)が、麻酔海綿の蒸気吸入を記載する | 1200 | |
1412 | 南蛮船が、スマトラから若狭国・小浜に来航して、日本にケシを将来したと考えられる | |
ピエトロ・マルティール・ダンゲーラ(Pietro Martyr d’Anghera)が、クラーレについて記載する | 1516 | |
ヴァレリウス・コルドス(Valerius Cordus)が、エーテルを合成する | 1540 | |
スペインのジェスイット・ベルナーベ・コボ(Jesuit Bernabe Cobo)が、歯痛みを和らげるためにコカを噛んだ経験を記す | 1544 | |
イギリスのウオルター・ローリー(Walter Raleigh)が、矢毒を記述する | 1596 | |
デンマークのトーマス・バルトリン(Thomas Bartholin)が、寒冷麻酔を記載する | 1646 | |
1672 | チョウセンアサガオ(Datura alba Nees)が、江戸で栽培される | |
1689 | 一粒金丹について中国の医書にある製法が、岡山新田藩(生坂藩)の木村道磧から弘前藩の和田玄良に伝授される。その後、アヘンを主成分とする弘前藩の秘薬「津軽一粒金丹」が製造される | |
“Anaesthesia”が、Baiely’s English Dictionaryで『感覚の欠知』と定義される | 1724 | |
1746 | 高志鳳翼が、「骨継療治重宝記」を出版。「整骨麻薬」を含む数種の麻酔薬について記述する | |
オーストリアのフリードリヒ・アントン・メスマー(Friedrich Anton Mesmer)が、催眠法を記載する | 1766 | |
イギリスのジョセフ・プリーストリー(Joseph Priestley)が、亜酸化窒素(笑気)を発見する | 1772 | |
フランスのアントワーヌ・ラヴォアジエ(Antoine Lavoisier)が、プリーストリー(Priestley)の発見した新しい空気を“oxygen”と命名し、フロジストン説を打破する | 1777 | |
イギリスのジェームズ・ムーア(James Moore)が、神経圧迫による局所麻酔法を考案する | 1784 | |
1796 | 中川修亭が、「麻薬考」の中で、華岡青洲が10人以上の有志による人体実験の末に意識消失に成功した旨を記述する | |
イギリスのハンフリー・デービー(Humphry Davy)が、亜酸化窒素の鎮痛作用を示唆し、そのガスを“笑気”と命名する | 1799 |
世界の歴史 | 年 | 日本の歴史 |
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ドイツのフリードリヒ・ウィルヘルム・アダム・ゼルチュルナー(Friedrich Wilhelm Adam Serturner)が、アヘンからモルヒネを分離する | 1803 | |
1804 | 華岡青洲が、「麻沸散」(曼陀羅華を主成分に、6種の薬草から成る)による記録上、世界で最初の全身麻酔下での乳がん手術を実施する | |
フランスのドミニック・ラレー(Dominique Larrey)が、プロイス・エイランの戦場で、負傷兵の四肢が冷却している時に切断しても疼痛を感じないことに気づく | 1807 | 二宮彦可が、「正骨範」の中で「整骨麻薬」について記述する |
1810 | 宮河順達が、江戸で麻沸散を投与して、2例以上の乳がん切除術を行う | |
1813 | 杉田立卿(杉田成卿の父)が、“麻睡之剤”(麻沸散)を用いて乳がん手術を行い、その様子を記録した「療乳嵓記」を刊行する | |
イギリスのマイケル・ファラデー(Michael Farady)が、エーテル蒸気の鎮痛作用を示唆する | 1818 | |
イギリスのヘンリー・ヒル・ヒックマン(Henry Hill Hickman)が、二酸化炭素の吸入による意識消失を動物の手術に応用する | 1824 | |
1827 | フランツ・フォン・シーボルト(出島のオランダ商館医)が、男児の頭部にできた直径10cmの皮脂嚢腫の切除を無麻酔で行い、術後疼痛の対処としてアヘンを投与する(男児は昏睡状態に陥り、術後7日目に死亡) | |
ドイツのリービッヒ(von Liebig)とアメリカ・ニューヨークのガスリー (Guthrie)、フランスのスーベラン (Soubeiran)が、それぞれクロロフォルムを発見する ドイツのマイン(A. Mein)とガイガー(P.L. Geiger)が、アトロパ・ベラドンナからアトロピンを製造する | 1831 | |
フランスのジャン=バティスト・デュマ(Jean-Baptiste Dumas)が、クロロフォルムの構造を記載し、それを“クロロフォルム”と命名する | 1834 | |
1840 | 鎌田玄台が、「外科起廃図譜」を著し、全身麻酔を行った患者について記録する | |
アメリカのクロフォード・ウィリアムソン・ロング(Crawford Williamson Long)が、エーテル吸入による全身麻酔で外科手術を行う | 1842 | |
アメリカのホーレス・ウェルズ(Horace Wells)が、亜酸化窒素(笑気)を用いて抜歯を行うが、公開実験に失敗し、亜酸化窒素は一時的に使用されなくなる | 1844 | |
アメリカのウィリアム・T・G・モートン(William T.G.Morton)が、マサチューセッツ総合病院でエーテル麻酔の公開実験に成功する | 1846 | |
イギリスのジェームズ・Y・シンプソン(James Y Simpson)が、エーテルを無痛分娩に用い、さらにクロロフォルム麻酔を発見する フランスのマリー・ジャン・ピエール・フールレンス(Marie Jean Pierre Flourens)が、動物に対するクロロフォルムやエチルクロライドの麻酔作用を記載する イギリスのジョン・スノウ(John Snow)が、エーテル麻酔に関する最初の科学的な単行本Inhalation of the Vapour of Ether in Surgical Operationsを出版する | 1847 | |
1848 | オットー・モーニッケが、長崎でクロロフォルム麻酔の知識を楢林宗建に伝授する | |
イギリスのジョン・スノウ(John Snow)が、クロロフォルムを空気とともに吸入する方法を編み出す | 1849 | |
フランスのクロード・ベルナール(Claude Bernard)が、クラーレの麻痺作用は、神経と筋肉の接合部(神経筋接合部)に働くことを証明する | 1850 | 杉田成卿(杉田立卿の息子)が、J・シュレジンガーのドイツ語原著のオランダ語版を日本語に重訳して『亞的耳吸法試説(亞的耳はアーテル)』と訳し、「済生備考」に収めた。そのなかで“麻酔”という語を造る |
1851 | オットー・モーニッケが、長崎で前田信輔に外科手術の際のエーテル吸入が無効であると教える | |
フランスのシャルル・ガブリエル・プラバ(Charles Gabriel Pravaz)が、金属製の注射器を発明する | 1852 | |
イギリスのアレクサンダー・ウッド(Alexander Wood)が、中空の注射針を発明する イギリスのジョン・スノウ(John Snow)が、ヴィクトリア女王の分娩に際して、クロロフォルム麻酔による無痛分娩に成功する(“女王のクロロフォルム麻酔”と称される) | 1853 | |
ドイツのアルバート・ニーマン(Albert Niemann)が、乾燥したコカの葉からアルカロイドを抽出し、活性物質をコカインと命名する | 1856 | |
ジョン・スノウ(John Snow)が、ベアトリス(Beatrice)皇女の出産に際して、クロロフォルム麻酔を行う | 1857 | 本間玄調が、麻沸湯による麻酔下で、男性患者の右下肢を膝関節上部から切断する(膝上での切断は日本初) |
ジョン・スノウ(John Snow)の死後、On Chloroform and Other Anaestheticsが出版される | 1858 | 三宅艮斎が、クロロフォルム麻酔の記述があるベンジャミン・ホブソンの中国語の『西医略論』(1857)の覆刻版を刊行する |
1860 | 宮崎立元、川崎道民および村山伯元(幕府遣米使節団の随伴員)が、フィラデルフィアのグロス・クリニックで、エーテル麻酔の発明者であるウィリアム・T・G・モートンによるエーテル麻酔投与の様子を見学する | |
1861 | 伊東玄朴が、オランダ海軍軍医J・L・C・ポンペから入手したクロロフォルムを使用して、下肢切断術を行う | |
イギリスのジョセフ・クローバー(Joseph Clover)が、クロロフォルムと空気の濃度調節ができる吸入器を開発する | 1862 | 今村了庵が、『医事啓源』の中で麻沸湯の処方を公開する |
アメリカのガードナー・コルトン(Gardner Colton)が、再び亜酸化窒素(笑気)の使用を歯科領域で推奨する。 | 1863 | 坪井信良が、ドイツのシュレジンガーの原著(オランダ語)を『亞的耳(アーテル)吸法試説』の邦題で翻訳する |
パリで第1回International Congress of Medicineが行われ、亜酸化窒素(笑気)の吸入が供覧される。その後、ヨーロッパで広く使用されるようになる 鼻と口を覆う亜酸化窒素(笑気)吸入器が開発される ドイツのユンケル(Ferdinand Edelberg Junker von Langegg)が、日本滞在中にユンケルの吸入器を開発する | 1867 | |
アメリカのエドモンド・アンドリュース(Edmund Andrews)が、亜酸化窒素(笑気)と酸素を併用する | 1868 | 鳥羽・伏見の戦いで、薩摩藩の要請を受けた英国公使館付医師ウィリアム・ウィリスが、臨時陸軍病院においてクロロフォルム麻酔下で四肢切断術などを行う 吉田顕三が、ウィリスのクロロフォルム麻酔の様子を見学し、京都で男性患者のクロロフォルム麻酔下での腹部手術に成功する 弘田玄又が、栃木県・壬生および、その後、江戸で負傷兵数名の治療の際にクロロフォルム麻酔を実施する |
1869 | 高松凌雲が、箱館戦争の負傷兵の治療において、クロロフォルム麻酔を実施したと言われる | |
ドイツのフリードリヒ・トレンデレンブルグ(Friedrich Trendelenburg)が、気管切開口から吸入麻酔薬を投与する | 1871 | |
フランスのピエール・シプリアン・オーレ(Pierre-Cyprien Ore)が、動物で抱水クロラールによる静注麻酔を行い、2年後にヒトに用いる | 1872 | F・A・ユンケル・フォン・ランゲックが、京都で携帯型ユンケル麻酔器を紹介し普及させる |
1876 | 石黒忠悳(いしぐろ・ただのり)が、ドイツのヌスバウム教授の「麻酔薬論」を参考にして、「局所麻酔」および「全身麻酔」を造語する | |
ジョセフ・クローバー(Joseph Clover)が、エーテル濃度を調節する携帯型麻酔器を完成する | 1877 | |
1879 | 外国人医師ホウィレル、エルドリッヂたちが、横浜でオランダ人の産婦に対して日本における最初の全身麻酔下の帝王切開術を実施する | |
イギリスのW・マキューエン(W. MacEwen)が、経口的気管挿管を提唱する ロシアのアンレップ(V.K. Anrep)が、コカインの麻酔作用を発見する | 1880 | 小池正直が、正常分娩時での麻酔薬の使用を奨励する |
ポーランドのアウグスト・フォン・フロインド(August von Freund)が、サイクロプロパンの合成に成功する | 1882 | |
オーストリアのカール・コラー(Karl Koller)が、局所麻酔にコカインを使って眼科手術に成功する アメリカのウィリアム・スチュワート・ハルステッド(William Stewart Halsted)らが、コカインで神経ブロックを行う | 1884 | 井上達也(眼科医)が、眼科手術の臨床において、日本で最初にコカインによる局所麻酔を使用する |
アメリカのジェームズ・コーニング(James Corning)が、脊髄腔にコカインを注入して下半身麻酔を試み、結果的には硬膜外麻酔を行う | 1885 | |
コカインの中枢神経に対する強い耽溺性(中毒作用)を示す例が、世界各国で報告され始める | 1886 | |
イギリスのフレデリック・ヒューイット(Frederick Hewitt)が、最初の実用的な混合吸入器を製作し、安全な麻酔管理(亜酸化窒素麻酔中の酸素投与)を提唱する | 1887 | 佐藤 進が、クロロフォルム麻酔の代わりとしてコカインの使用を推奨する |
ドイツのP・ヴェラ・レダード(P.vera Redard)が、エチルクロライドによる局所麻酔を発見する | 1890 | |
ドイツのギーセル(Giesel)が、トロパコカインを発見し、分離に成功する ドイツのハインリヒ・クインケ(Heinrich Quincke)が、脊髄くも膜下腔穿刺法を発見する | 1891 | |
ドイツのハインリヒ・ブラウン(Heinrich Braun)が、“conduction anaesthesia”(伝達麻酔)の語を提唱する ドイツのカール・ルートウィッヒ・シュライヒ(Carl Ludwig Schleich)が、局所浸潤麻酔を開発する | 1892 | |
1893 | 佐藤 進が、日本医師会の第1回会合において、コカインによる局所麻酔についての論文を発表する 岡田和一郎が、日本医師会の第2回会合において、コカインによる局所麻酔について、土肥慶蔵が、麻酔法についての論文を発表する | |
ドイツのカール・ルートウィッヒ・シュライヒ(Carl Ludwig Schleich)が、Schmerzlose Operationenを出版する | 1894 | |
ドイツのアルフレッド・キルシュタイン(Alfred Kirstein)が、直視下気管挿管法を開発する | 1895 | |
ドイツのH・ウルフィング・ルアー(H.Wulfing Luer)が、全ガラス製の注射器を開発する | 1896 | クインケ(ドイツ)の脊椎穿刺法が、日本に紹介される |
ドイツのハインリヒ・ブラウン(Heinrich Braun)が、アドレナリン・局所麻酔薬併用法を開発する | 1897 | |
ドイツのアウグスト・ビーア(August Bier)が、自分自身が被験者となって脊髄くも膜下麻酔を臨床に応用する | 1898 | |
1899 | 寺田織尾が、カール・シュライヒの著書を抄訳して『無痛手術』を刊行する |
世界の歴史 | 年 | 日本の歴史 |
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ドイツのクライス(A Kreis)が、産科で初めて脊髄くも膜下麻酔を応用する | 1900 | |
1901 | 北川乙治郎(名古屋・私立好生館病院長)、東良平および伊藤隼三が、それぞれコカインとオイカインを用いて脊椎麻酔を実施する。北川は、患者2名に対してモルヒネによる脊椎麻酔で鎮痛を実施する | |
アメリカのマティアス・J・セイファート(Mathias J.Seifert)が、“Anesthesiology”という言葉を造語する | 1902 | 八甲田山雪中行軍遭難事件で、救助された陸軍将兵たちの凍傷に冒された四肢切断手術において、クロロフォルムとエーテルの等量混合液が、オープンドロップ法で吸入して用いられる |
ドイツのエミール・フィッシャー(Emil Fischer)が、静脈麻酔薬ベロナールを合成する エミール・フィッシャー(Emil Fischer)が、鎮痛作用のある最初のバルビツレートを合成する | 1903 | 渡辺純一郎が、脊椎穿刺時のJacoby線を紹介する |
ドイツのアルフレッド・アインホルン(Alfred Einhorn)が、コカインより毒性が低い局所麻酔薬プロカイン(ノボカイン)を発見する フランスのエルンスト・フォルノー(Ernst Fourneau)が、ストヴァインを合成する | 1904 | |
ドイツのハインリヒ・ブラウン(Heinrich Braun)が、プロカイン(ノボカイン)を臨床に応用する。また、Die Localanaesthesieを出版する イギリスのジョン・S・ホールデン(John S.Haldane)が、低酸素ガスを自己投与する実験を行い、「無酸素血は機械を停止させるだけでなく、その機能を荒廃させる」という言葉を生み出す ドイツのアルフレッド・アインホルン(Alfred Einhorm)が、プロカインを合成する | 1905 | |
目盛付きの注射器がドイツで作成される | 1906 | 近藤次繁が、麻酔器をドイツから輸入する(ヴォールゲムート型であったと思われる) |
イギリスのアーサー・バーカー(Arthur Barker)が、高比重液による脊髄くも膜下麻酔を提唱する ドイツのE・パイアー(E Payr)が、臨床に局所麻酔薬オイカインを応用する | 1907 | |
ドイツのアウグスト・ビーア(August Bier)が、局所静脈麻酔法を開発する アメリカのジョージ・W・クーライル(George W. Crile)が、“anociassociation”の概念を提唱する フランスのルイ・オンブレダン(Louis Ombrédanne)が、エーテル吸入器を発明する | 1908 | |
ドイツのアウグスト・ビアー(August Bier)が、静脈内区域麻酔を報告する | 1909 | |
ドイツのR・キュンメル(R Kümmell)が、ヘドナールによる静脈麻酔に成功する アメリカのエルマー・M・マッケソン(Elmer M. McKesson)が、間歇的に流量調節が可能な亜酸化窒素‐酸素麻酔器を開発する ドイツのアルツール・レーウェン(Arthur Läwen)が、 仙骨経由の硬膜外麻酔が有用であることを提唱する | 1910 | |
アメリカのアーサー・E・ゲデル(Arthur Ernest Guedel)が、産科麻酔で笑気の自己吸入法を提唱する | 1911 | 中山茂樹と上野信四郎が、第12回日本外科学会総会において、それぞれ全身麻酔と局所麻酔についての宿題報告を行う 三輪徳寛が、『局所麻酔』を刊行する |
アメリカのウオルター・M・ブースビー(Walter M. Boothby)が、麻酔器にガス流量計を装備する アメリカのフランシス・H・マッマキャン(Francis Hoeffer McMechan)が、アメリカ麻酔科医連合(American Association of Anaesthetists)を設立する。その後、雑誌Current Researches in Anaesthesia and Analgesiaの初代の編者となる | 1912 | 頓宮 寛が、『薦骨及腰髄麻酔法』を刊行する 細谷雄太および永野重業が、ハインリッヒ・ブラウンの著書を抄訳し、『近世局所麻酔』を刊行する |
1915 | 長井長義(東京帝国大学薬学科教授)が、局所麻酔薬アロカインを創製する 佐々木喬(九州帝国大学薬学教室)が、「厚朴」(和名/ホウノキ)の中にクラーレ様物質を発見し、「ホークラーレ」と命名する 頓宮 寛が、『伝達麻酔法』を刊行する | |
イギリスのフランシス・E・シップウェイ(Francis E.Shipway)が、加温式エーテル吹送器を開発する | 1916 | 喜多村敬次郎が、『局所麻痺法』を刊行する |
アメリカのアーサー・E・ゲデル(Arthur Ernest Guedel)が、スノウの麻酔深度をさらに発展させ、エーテル麻酔深度を4期に分類する イギリスのイヴァン・W・マギール(Ivan Whiteside Magill)が、経鼻気管挿管の技術を確立する アメリカでハイドブリング型麻酔器が誕生する | 1920 | |
ドイツのオットー・レーヴィ(Otto Loewi)が、クラーレの筋弛緩作用のメカニズムを証明する スペインのレオン・パジェス(Léon Pagès)が、腰部硬膜外麻酔を実施する | 1921 | 中川小四郎(東北帝国大学・外科学)が、「アルコールによる経静脈的点滴麻酔法」(独文)を発表する。アルコール麻酔に関する世界最初の本格的な研究として、その名を欧米にまで知らしめる |
アメリカのガストン・ラバット(Gaston Labat)が、英語による区域麻酔に関する最初の教科書を発行する 麻酔科学を専門に扱う雑誌Current Research in Anesthesia and Analagesiaが創刊される | 1922 | |
アメリカのラルフ・M・ウオーターズ(Ralph M.Waters)が、ソーダライム(二酸化炭素吸収装置)を開発する | 1923 | |
ドイツのロート・ドレーゲル(Roth Dräger)が、現在の麻酔器の基礎となる麻酔器を開発し、臨床に使用する アメリカのJ・A ・ハイドブリンク(Jay A. Heidbrink)が、麻酔バッグの圧による作動開閉弁を使用し、エーテル気化器などを備えたハイドブリンク型麻酔器を発明する フランスのバルデー(D. Bardet)が、静注用ソムニフェインを臨床に応用する | 1924 | 谷口熊雄(九州帝国大学病院三宅外科)が、胃がん手術患者の術後死亡率が局所麻酔では全身麻酔より半減することを第25回日本外科学会総会で報告する |
1925 | 脊椎麻酔による初の死亡例が報告される(患者は手術から4日後の4月27日に死亡) 阿部健が、『新撰局所麻酔』を刊行する | |
アメリカのジョン・ランディ(John Randy)が、バランス麻酔の概念を提唱する | 1926 | |
テトラカインが開発される カナダのルーカス(George H.W.Lucas)とヘンダーソン(Velyen E. Henderson)が、サイクロプロペインの麻酔作用を発見する アメリカのアーサー・ゲデル(Arthur Guedel)とラルフ・M・ウオーターズ(Ralph M.Waters)が、カフ付きの気管チューブを考案する | 1928 | |
アメリカのブライアン・ソード(Brian Sword)が、二酸化炭素吸収装置を持つ循環式麻酔を導入する | 1930 | |
ドイツのクロップ(Kropp)とタウブ(Taub)が、エビパンを合成する ドイツのヘルムート・ウィーゼ(Helmut Weese)らが、最初にヘキソバルビトン(エビパン)を使用する 長時間作用型のテトラカインが利用できるようになる | 1932 | |
アメリカのウィスコンシン大学に世界初の麻酔科学教室が誕生する | 1933 | 中谷隼男が、アメリカのメイヨー・クリニックを見学し、アメリカの麻酔法の重要性を指摘する |
アメリカのラルフ・M・ウオーターズ(Ralph M.Waters)が、サイクロプロペイン麻酔を臨床に応用する アメリカのジョン・ランディー(John Lundy)が、チオペンタールナトリウムの最初の報告を行う スウェーデン製の人工呼吸器“Spiropulsator”が発売される | 1934 | |
アメリカのエモリー・A・ローベンシュタイン(Emory Rovenstein)が、神経ブロックを行うクリニックを始める。その後、ジョン・ボニカ(John Bonica)が、ペインクリニックの発展に貢献する | 1936 | |
1938 | 永江大助(陸軍軍医学校)が、メイヨー・クリニックに留学し、気管麻酔法やサイオペンタール(サイオペントン)を日本に紹介する | |
1940 | 厚生大臣が、“医療制度改善方策”を答申し、診療科名と専門科名の新設が検討される 朴蘭秀(名古屋帝国大学第一外科)が、高比重液のペルカミンSを用いた脊椎くも膜下麻酔法を第41回日本外科学会総会で発表する | |
カナダのハロルド・グリフィス(Harold Griffith)が、サイクロプロペイン麻酔下の虫垂切除中にクラーレを応用する スウェーデンのニルス・ロフグレン(Nils Lofgren)とベングト・リンドバーグ(Bengt Lindberg)が、リドカインを開発する アメリカのグレン・ミリカン(Glenn Millikan)が、最初のイヤーオキシメータ―を開発する | 1942 | “国民医療法”の施行により専門科名が整理される 高島令三が、『麻酔法』を刊行する |
イギリスのロバート・マッキントッシュ(Robert Macintosh)が、弯曲ブレードの喉頭鏡を開発する | 1943 | 田中憲二が、インドネシアのジャカルタ医科大学で、オランダ人の外科医が気管麻酔を行っているのを実見する |
イギリスのトーマス・C・グレイ(Thomas C. Gray)たちが、d‐ツボクラリンによる筋弛緩作用に関する論文を発表する(リバプール法の提唱) | 1946 | |
アメリカのジョン・J・ボニカ(John J.Bonica)が、シアトルに世界で最初の学際的ペインセンターを開設する | 1947 | |
イギリスのM・W・C・グリフィス(M.W.C. Griffiths)とジョン・ギリーズ(John Gillies)が、高位脊椎麻酔を応用して低血圧麻酔を行う スウェーデンのトルステン・ゴード(Torsten Gordh)が、リドカインを臨床に応用する | 1948 | |
イギリスのW・D・M・ペイトン(W.D.M.Paton)とエレノア・ザイミス(Eleanor Zaimis)が、ペンタヘキトニウムとヘキサメトニウムを合成する イタリアのダニエル・ボヴェット(Daniel Bovet)が、サクシニルコリンを開発する | 1949 | 斉藤 眞が、『局所麻酔法及全身麻酔法』を刊行する 石川七郎が、第2回胸部外科学会においてアメリカの麻酔法について発表する |
1950 | 第1回日米連合医学教育者協議会が開催される。マイヤー・サクラッド博士の麻酔科学の講義は、日本の外科学教授たちに強烈な衝撃を与える。なお、同協議会は1951年、1956年の計3回にわたって行われた 林周一、綿貫 喆(わたぬき・てつ)(東京大学医学部第二外科)が、アメリカのアドリアニの著書を参考に、泉工医科工業に協力を得て、国内初の全身麻酔器を製作する 清水健太郎教授が、東京大学で「麻酔班」を発足させる(班長は山村秀夫博士) 慶應義塾大学が、ハイドブリンク社の「ミゼット型」麻酔器を購入する 東京大学医学部第二外科において、チオペンタールの臨床使用が開始される 市川篤二らが、『手術と麻酔』を刊行する 亜酸化窒素が発売される | |
1951 | 前田和三郎(慶應義塾大学)が、第51回日本外科学会総会において、麻酔法の重要性を訴えた会長講演を行う 前田和三郎が、『最も新しい外科と麻酔』を編纂・刊行する(これはポール・W・シェイファー教授およびマイヤー・サクラッド博士の講演内容をまとめたもの) 福田 保らが、『最新麻酔学』を刊行する 市川至誠堂が、国産ガス麻酔器を発売する シクロプロパンが発売される | |
1952 | 日本で最初の麻酔学講座が、東京大学医学部に開講される(講座責任者は山村秀夫助教授) 慶應義塾大学の石川七郎と天野道之助が、「麻酔研究会」を発足させる 国産チオペンタールが発売される 克誠堂出版が、雑誌『麻酔』を創刊する 山村秀夫が、初のチアミラールナトリウム臨床使用例を報告する 星子直行および岩月賢一が、『新しい麻酔学入門』を刊行する 天野道之助が、慶應医学会後援による「麻酔学研究会」を慶應義塾大学内で開催する(1954年末までに各地で計19回の研究会が開催される) d-ツボクラリンが発売される | |
1953 | 天野道之助が、『麻酔学』を刊行する 綿貫 喆が、『気管内麻酔法及びその注意』を刊行する | |
アメリカのジョン・C・クランツ・ジュニア(John C.Krantz.Jr)が、フルロキセンの開放点滴法で実験に成功する イギリスのチャールズ・サックリング(Charles Suckling:インペリアル・ケミカル・インダストリーズ社)が、ハロタンを合成する | 1954 | 篠井金吾、清水健太郎、福田 保、木本誠二、前田和三郎、武藤完雄、山村秀夫、天野道之助が、麻酔学会設立について会合を持つ 日本麻酔学会(現・日本麻酔科学会)が設立される 山村秀夫が、『臨床麻酔学』を刊行する 宮本 忍が、『吸入麻酔の実際』を刊行する 第1回東海麻酔研究会が、名古屋で開催される 第1回日本麻酔学会総会が、東京で開催される(会長は武藤完雄) 『麻酔』が、日本麻酔学会の準機関誌となる(Vol. 3 No.4から) |
1955 | 天野道之助が発案した「麻酔懇親会」が開催される(この会議は日本麻酔学会関東地方会の発足により1961年9月までに解散する) 恩地 裕が、『麻酔の反省』を刊行する スキサメトニウム(塩化サクシニルコリン)が発売される | |
イギリスのミカエル・ジョンストン(Michael Johnston)が、ハロタンを臨床に応用する メピバカインが開発される | 1956 | |
ブピバカインとロピバカインが開発される | 1957 | 日本麻酔学会が、日本医学会第45分科会として承認される |
1958 | 稲本 晃教授(京都大学)が、ハロタンの臨床使用を開始する 東京麻酔専門医会が発足する | |
プリロカインが開発される ベルギーのデ・カストロ(J.De Castro)とポール・マンデレール(Paul Mundeleer)が、ニューロレプトアナルゲジアを提唱する | 1959 | 山村秀夫が、麻酔科教授として初めて東京で開催された第15回日本医学会総会において講演する ハロタンが発売される ヘキサフルオレミウムが発売される |
1960 | 厚生省(当時)の医道審議会が、麻酔科を特殊標榜科として認可する 麻酔科標榜科の資格審議委員会が発足する(委員は稲本晃、岩月賢一、天野道之助、山村秀夫および山下九三夫)。麻酔科標榜医第1回および第2回審査で35名に認可が下りる | |
1961 | 第1回日本麻酔学会東海地方会が開催される 後に日本産科麻酔学会となる無痛分娩研究会が発足する(2008年に名称変更) 雑誌『分娩と麻酔』が創刊される 順天堂大学で、第1回日本麻酔学会関東地方会が開催される(会長は山村秀夫) 日本工業規格(JIS)の麻酔器の部(JIS T 7201-1960)が発表される | |
1962 | 麻酔指導医認定委員会が発足し、日本で初めての麻酔指導医の認定制度ができる 山村秀夫教授が、東京大学医学部麻酔学教室にペインクリニック部門を開設する | |
ブピバカインが臨床的に使用される | 1963 | 第1回麻酔指導医認定審査が東京大学で行われ、35名が合格する。この35名と認定委員会の試験官9名を含めた麻酔指導医44名が誕生する 日本麻酔学会が、麻酔指導医が専従して勤務する所属病院を認定研修病院として承認する 東京・日本橋の三越百貨店本店で「麻酔展」が開催される メトキシフルランが発売される |
ケタミンが臨床に応用される デスフルランが合成される | 1966 | |
短時間作用型のフェンタニルが導入される | 1967 | γ-ヒドロキシ酪酸の臨床使用が開始される ガラミンが発売される 国産初の生体情報モニターと防爆用電導シューズが製作される |
1969 | 救急医療センター医師研修(麻酔科領域)が開始される ペインクリニック研究会が発足する(1985年に「日本ペインクリニック学会」に名称変更) 日本麻酔学会が、映画「麻酔」を制作する ブピバカインが発売される アルクロニウムが発売される | |
1970 | 吉富製薬が、映画「局所麻酔」を制作する | |
ナロキソンが初めて臨床に使用される セボフルラン麻酔が報告される | 1971 | 後に日本小児麻酔学会となる小児麻酔研究会が設立される(1995年に名称変更) |
1972 | ドロペリドールおよびフェンタニルが発売される 第5回世界麻酔学会が京都で開催され、明仁皇太子殿下ならびに美智子皇太子妃殿下が御臨席される(会長は山村秀夫)。緒方富雄が華岡青洲について特別講演を行う | |
セボフルランとイソフルランが臨床に応用される 静脈麻酔薬のエトミデートが導入される | 1973 | 尾山 力が、Anesthetic Management of Endocrine Diseaseをスプリンガー社から刊行する(日本人による最初の英文単著) パンクロニウムが発売される |
スフェンタニルが導入される | 1974 | 青柳卓雄(日本光電工業)が、パルスオキシメーター(動脈血中酸素飽和度測定装置)の原理を発明する |
アルフェンタニルが導入される | 1976 | |
クレモフォールを溶媒としたプロポフォールが溶媒として導入される | 1977 | 雑誌『臨床麻酔』が創刊される |
アメリカのJ・K・ワン(J.K.Wang)が、くも膜下腔内モルヒネ投与により、長時間の鎮痛に成功する | 1979 | 松木明知が、“麻酔学”を“麻酔科学”にすべきだと提唱する |
1980 | 日本麻酔学会総会に「あり方委員会」の答申が報告され承認される 日本臨床麻酔学会が設立される 雑誌『ペインクリニック』が創刊される 麻酔器が、ISO(国際標準化機構)のISO5358(ヒトにおける麻酔器)として規定される | |
1981 | 日本麻酔学の「山村賞」が設立される 『日本臨床麻酔学会誌』が創刊される エンフルランが発売される | |
1982 | 日本蘇生学会が発足する | |
イギリスのアーチー・ブレイン(Archie Brain)が、ラリンジアルマスクを開発する | 1983 | 池田和之が、セボフルランの臨床試験を開始する イソフルランの臨床試験が開始される 日本麻酔学会が、「麻酔科学用語集」第1版を刊行する |
大豆油を溶媒としたプロポフォールが導入される | 1984 | |
1985 | オランダのVNU Science Press社が、雑誌Japan Anesthesia Journal Reviewを創刊する | |
1987 | 第34回日本麻酔学会の評議員会で「第2次あり方委員会」が承認される 日本麻酔学会の機関誌Journal of Anesthesiaが創刊される | |
1988 | ベクロニウムが発売される 日本局所麻酔学会が発足する(2007年に解散) 日本老年麻酔学会が発足する “痛みの専門医”を育成するため認定医制度が施行される | |
デスフルランが人に初めて使用される | 1990 | イソフルランおよびセボフルランが発売される |
1993 | 第1回JSAニュースレターが発行される 日本麻酔学会が、『麻酔科学用語集』改訂第2版を刊行する | |
ロクロニウムが発売される | 1994 | 日本ペインクリニック学会誌が創刊される |
ロピバカインが発売される | 1995 | 日本麻酔学会若手奨励賞が創設される |
レミフェンタニルが発売される | 1996 | 日本心臓血管麻酔学会が設立される |
1998 | 日本麻酔学会社会賞が設立される 雑誌Cardiovascular Anesthesiaが創刊される | |
1999 | 松木明知の提案により、「麻酔学」の代わりに「麻酔科学」を日本麻酔学会として正式に採用する | |
2000 | 松木明知が、10月13日を「麻酔の日」とすることを提案する(この日は、華岡青洲が世界で初めて全身麻酔下で乳がん切除術を行った日に当たる) | |
2001 | 社団法人日本麻酔科学会が設立(日本麻酔学会を改組)される | |
2002 | 従来の麻酔指導医が、麻酔専門医に改められる 社団法人日本麻酔科学会が、第1回リフレッシャーコースを開催する 『麻酔科学用語集』改訂第3版が発刊される | |
2003 | 日本麻酔科学会の年次集会が50回目を迎え、東京で記念式典が開催される 「麻酔専門医」の上に新たに「麻酔指導医」が設置される | |
2004 | 日本麻酔科学会青洲賞が設立される | |
2006 | “痛みの専門医”である認定医は「ペインクリニック専門医」と改名される | |
2007 | 石原弘規が、スプリンガー社からFluid Volume Monitoring with Glucose Dilutionを刊行する(英文単著としては日本人で2人目) ロクロニウムが発売される 日本麻酔科学会内に、麻酔博物館企画委員会が設置される | |
スガマデクスが発売される | 2008 | 日本麻酔科学会の事務所が神戸に移転する |
2009 | 日本麻酔科学会の事務所に併設して麻酔資料館が開設される 日本麻酔科学会松木賞が創設される | |
2010 | 第13回アジア・オーストラレーシア麻酔科学会が、福岡で開催される(会長は澄川耕二) スガマデクスが発売される | |
2011 | 松木明知が、Seishu Hanaoka and His Medicineを刊行する 日本麻酔科学会が、公益社団法人となる 麻酔資料館が発展し、麻酔博物館が設立される デスフルランが発売される | |
2012 | 松木明知が、A Short History of Anesthesia in Japanを刊行する | |
2013 | 日本麻酔科学会が専門医制度の見直しを開始し、麻酔科認定医、麻酔科専門医、麻酔科指導医などの新制度を導入する | |
2014 | 日本区域麻酔学会が発足する | |
2015 | The Journal of Anesthesia Clinical Report(オンライン)が創刊される | |
2021 | 第10回麻酔科学史国際シンポジウム(ISHA2021)が、神戸市で開催される |